
脱獄し、隠れ家で暴露本を執筆していたジャンヌが、ついにオスカルに追い詰められる第24話。単身乗り込んだオスカルの首をしめて殺そうとするニコラス。その時、なぜジャンヌはニコラスを殺してまでオスカルの命を救ったのだろうか……。
燃え尽きたあとのジャンヌは、すでに死を予感していたのかもしれない。もし、他国へでも逃げおおせられるのであれば、ジャンヌは自由に人生を謳歌し続けただろう。しかし隠れ家は近衛隊に包囲される。ジャンヌは最後に残された自由──死の自由を、文字通り死守したのだ。ジャンヌ脱獄の報を聞いて、いみじくもロザリーがつぶやいた。「どこにいても……姉さんが姉さんがらしく自由に飛ぶことができているなら……」と。そう、ジャンヌにとって、自由こそが何より大切な要素なのだった。ニコラスの命と引き換えにとっさにオスカルの命を救ったのはなぜか? オスカルとどこか底通するものを感じていたジャンヌが、オスカルを無駄に死なせたくないと思ったから? 一匹狼を通したジャンヌだが、最後にひとりぼっちで死ぬ淋しさに耐えられなかったから? そうとも取れるが、この状況でニコラスが逃げおおせられるわけはない、とジャンヌが判断したとしたら、自分の人生哲学の文脈の中でニコラスの自由をも守ってやろうとしたのだとも考えられる。下らない貴族の手にかかって捕らえられ、殺されるぐらいなら、ここで今、私と一緒に飛び立とう──ジャンヌはニコラスにそう言いたかったのかもしれない。
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出崎統が監督・演出を引き継いだ時点で、監督が魅力を感じたのがジャンヌだったという。思えば『あしたのジョー』『エースをねらえ!』『ガンバの冒険』と手掛けてきた監督にとって、底辺から立ち上がろうする人間、不可能に挑戦する不屈の精神、自由、といった要素は、最も表現意欲をそそられるものだったのだろう。原作では単なる悪役の範疇にとどまっていたジャンヌ。しかしアニメのジャンヌは、なんと魅力的なキャラクターとなって生き、飛び立っていったか。その秘密は、そのへんにあったと言える。
社会の片隅の貧しい暮らしの中でも、ジャンヌは自分を取るに足らない存在だとすんなり認めることができないタイプの人間だった。ロザリーのように「私なんか……」とは絶対に言わない。アニメのジャンヌは、単に欲望にかられた女としては描かれていない。自分を尊重する心を失わず、その尊厳を守るため、他者に自分を認めさせるため、ジャンヌは成り上がるしかなかったのだ。人間として不当な扱いを受けている以上、悪事に手を染めても「神だろうとあたしを裁くなんて許せない」。そして豊かな暮らしへの憧れ。自分の欲求に正直で、いちかばちかの大勝負が好きな豪放な性格。自分の力と運を試すかのように、ジャンヌは不可能と思える目標に次々とチャレンジしていく。権力をかさに着たり、取り繕ったすまし顔に一泡吹かせることをこの上なく楽しむ反骨精神に満ちている。そして、何よりも大切にしていた自由──。解釈は人によって違うだろうが、アニメのジャンヌは、出崎統の手によってこうした様々な側面を読み取ることができる豊かなキャラクターとなったのだ。 |