当時(今も?)少女まんがで欠かすことのできないアイテムが花と涙。アニメでも前半は背景に花が散ったり、意識を失っていたひろみが目覚める時に周囲に花が描かれたり(第12話)と、なんとかして少女まんがのセオリーを取り入れようとしていた苦労のあとがうかがえる。
 涙に関してもしかり。でも、杉野昭夫描く繊細な美少女キャラから、透過光の涙がキラキラとこぼれ散っていくという表現も、元をたどればまさにこの作品といえるかも!

 これは、ひろみとマキの髪形のこと。当時流行だったのがウルフカットとマッシュルームカット。
 そういう意味でこのふたりは実に現実的なファッションをしている。台襟の高いシャツカラーのブラウス、ショート丈のベスト、そしてベルボトムのパンツは女子高生の必須アイテム。
 それに比べて、お蝶夫人のゴージャス&ファンタスティックなヘアとドレス……。いないって、こんな高校生! という世界が共存してる、この非現実的な感覚が、逆説的に当時の少女まんがの現実だったんだよね。

 尊敬する先輩って、います? その人に少しでもお近づきになりたくて、一言でも声をかけてほしい……そんな同性の先輩って。70年代にはそんな上下関係は学校の中にもけっこうありました。もちろん敬語を使います。そして気に入ったら可愛がってもらえます。アニメでも第8話で、ひろみが置いていったバラの花束とメッセージを見ながら、お蝶夫人は「なんてかわいいこと……」なんてつぶやきます。尊敬と憧れ、そしてプライドと慈しみがまだ人間関係の中に存在した時代、はっきりした上下関係あっての世界です。

 スポコンもの、というジャンルがある。スポーツ根性ものだが、この精神は昇華させると求道精神に行き着く。哲学的な、あるいは宗教的な……。それは右手に巨きな星をつかんだら終わる、というものではなくて、果てしなく続く無限への挑戦だ。その精神が原作の根底には回を追うごとに次第に色濃く流れ始めた。
 それこそが、「少女まんがなんて嫌だよぉ」と言っていた(らしい)出崎統の心の琴線に触れたんである。きっと。『あしたのジョー』しかり『ガンバの冒険』しかり、ゼロから出発して、とうてい勝てそうもない敵に戦いを挑み続けるというテーマはまさに出崎統の御家芸。このテーマは劇場版、OAVとストーリーが進むにつれて無駄を削ぎ落とし、芸術的な境地にまで達していると言っていいだろう。とは言え、そんなシリアスな緊張感だけでは息がつまるのが人間。というワケで出てくるのが「女子高生の日常生活」なんだが、これはちょっと、今見ると「どうかなぁ……」というリンクのしかたをしている。
 部活の後にハンバーガーやうどんを寄り道して食べること自体はリアリティがあるけれど、毎回のように挿入されるひろみの部屋でのショットや日記のようなモノローグは、とてもさっきまで壮絶なイジメに合っていた娘とは思えない。両面あるのが人間だよ、と言ってしまえばそれまでだが、なんかミスマッチな感じがぬぐえないのね。でも、それは原作によるところが大きいともいえる。

 70年前後、ものすごくシリアスだったりお耽美な少女まんがが続出した。そこに、ページをペラリとめくって「ひぇ〜!」なんて言っている作者が登場したり、ヒロインにまったく関係のないギャクをやらせてハズしたり、というのが流行ってたんである。それが斬新だったんである。きっとまんが作家も、非現実的なシリアスや耽美をやっていて、時々「かんべんしてよ〜」と言いたくなったのではないだろうか。だからアニメのそういったシーンも、原作のレトリックの引き写しと思えば納得がいく。第1シリーズに関しては、そんな風に見るべきなんである。


Copyright (C) 2001 TMS ENTERTAINMENT,LTD. All Rights Reserved.